基本的に削除をしたい人なんですが


http://anond.hatelabo.jp/20100202114632


でも、この増田の発言はなんかグッときた。言葉は悪いけど、なんかある種の愛があるよな、と思う僕は確実にパラノイア。特に最後の「上手く折り合いをつけてもらえないか」のくだりがいい。ただ、削除したいんですよ。ガキ臭いとも、自意識過剰と罵られようとも。というか実際ちょいちょい削除しているし、先日も削除してしまっているし。



というより、今この瞬間もブコメを削除したいんすよね。ただ、スターがある一定上ついてしまっていると逆に消しにくい。スターをつけた人に申し訳なく思い消すに消せない。まぁ、でも削除するときはしてしまうのですが。



別に保存されているとか、キャッシュが残っているとかそーいうのは関係ないんですよ。上記の増田の指摘は正しくて、自意識過剰、つまりは自分の発言や行動に異常な執着があるんでしょうね。責任ではなく執着。偏執的ってのがぴったりか。つまりはパラノイア



後、発言するからには発言されることも考えろ、撃つからには撃たれる覚悟をしろっていう正論も分かるけど、同時に、有意義な発言、面白い発言をすることと、批判耐性ってのはイコールではないとも思うんですよ。というより、むしろ、面白い発言力と批判耐性って逆相関関係にあると考えています。


発言というか、何かを発見したり結びつけたりって、ある種電波受信に近い側面もあるんです。妄想力というか。で、妄想には被害妄想って側面もあって、つまりはパラノイアなんですが、同時にそれが批判に対する脆さにもなる訳です。この辺は、作家を例にとれば分かりやすいと思う。太宰治とか、自分が賞に落ちた事を、凄い長くて鬱陶しい手紙で問いただした、なんてのは有名なエピソードですが、分かりやすい例だと思う。



もちろん、僕は作家じゃないし、ネットで発言をする人は作家じゃないし、太宰じゃないし、あからさまなデマや僕の普段のブコメみたいな脊髄反射コメントを全て肯定しろとは思わないけど、同時にその手の妄想力が強い人間の発言ってのが駆逐されたら、多分ネットは本当にモヒカンだけの、奪われる種モミすらない空間になるんだろうなぁ、というこれも妄想ですけど。



後、これも話が飛ぶのですが、、幕末に人斬りがいて、そいつは人を殺しまくってるけど、でも自分はたとえどんなに情けなくても絶対に死にたくないってっのをなんかどっかで聞いて、凄い納得したんですよね。そりゃ、相手と自分の発言を等価値に見て、判断するってのは正しいけど、でもそれは正しいだけじゃないですか。基本的には、相手を切り殺して、でも自分は助かりたい訳です。強いヤツ、生き残るヤツほど臆病であるじゃないけど。


そんでもって、データが残っていたとしても、削除という行為で自分の中の矮小な何かが守られるのなら、僕は削除をする訳です。まぁ、でも、上記の増田の発言で少し考えは変わってきてますけど。


それにしても、ネットはパラノイアな人多いよなぁと思う。いや、元々誰しもがそうで、隠しているだけとか月並みなまとめ。