或いは本のなくならない理由


>>ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場


インターネットで発言するという事が、同時に、偉さ、正しさの奪い合いで、揚げ足の取り合いになるというのならば、先鋭的に面白いことというのは非常に潰されやすいという事にもなる。


確かに、ネット巡回をしていて、これは新しい、面白いという表現に出会うことはある。けれども、それはある意味で予定調和的、もしくは「道徳的な正しさ」を「踏まえた上」というエクスキューズが見え隠れする。自由で規制がないというのがネット表現の利点であったはずなのに、その自由と規制のなさが、逆に足の引っ張り合いになり、より面白いものを作る疎外要因にもなりうる可能性をもつ。


ところで、突然ですが僕はコトリコさんが好きです。


>>http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20090601/1243784394


蕎麦くって酒のんで自転車のって帰ったという話なのですが、とても面白い。でも、場合によって、この自転車の飲酒運転に引っかかる人もいるでしょう。飲酒運転は駄目です。自転車でも駄目です。それは前提。問題なのは、この記事に対して文字を血走らせて指摘する人です。


そして、僕がまぁまぁそんなに文字を血走らせなくてもというと「お前は犯罪を助長するのか!毎年自転車の飲酒運転でどれだけの人が云々かんぬん」・・・つまり「道徳的な正しさの奪い合い」になってしまって話にならない。


例えば、はっきりいってロリコンポルノにしか見えない文学小説を書いたとして、それが芥川的な賞を取ったのなら「まぁ、文学だからオホホホ」と言われるかもしれないけど、全く同じものを趣味でネットに公開して身ばれしたら、「このロリペドゴミ虫野郎が!」と罵られて、小学校の先生であろうものなら社会的に抹殺されるのは必至でしょう。


つまり、雑誌のインタビューでロリコンについて嬉々として語っていた宮崎駿は映画監督っていう「偉さ」があるからセーフなのであって、ネットでの自主製作アニメの趣味の人だっら、或いはギリギリセウトで社会的に抹殺される可能性もあるのじゃないかと。


そう考えていくと、やっぱりそれらの有象無象の「道徳的な正しさを奪い合いたい人」をとりあえず排除してくれる出版とか、あるいはアカデミック的な場、もっと言うと、圧倒的に上の立場から一方的に作品を与える場みたいなもんは、やっぱ必要だよなぁとか。


・・・と徒然と書いていくと、ロリコンを擁護しているとかなんとかで僕の「道徳的な正しさ」を奪われかねないのでここら辺でやめておこう。

最後になりましたけど、こういうことをイチイチ書いてると邪魔くさいので、今後僕は犯罪ギリギリっぽいことを書いたり、法律にふれるようなことを書いても、余程のことじゃないと注意したりしませんから、各自自分の頭で考えて、人に迷惑をかけないようにしましょうね


http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20090601/1243784394


この言葉をしみじみと感じ入る日々です。


ああ、そうだ。忘れるとこだった。かといって、別にネットでの新しい表現とか、その可能性を否定する訳じゃないっすよ。だって、それを否定したら、上記の引用ブログ自体を否定することにもなるんで。僕自身も、HTMLベースでやれることって何だってのを夢想したりしますし。


つまり、要は住み分けの話というかね。それぞれにメリットどデメリットがあるよ、みたいな感じのぼやきだと思って頂ければこれ幸い。