才能のないヤツにとっては、ある意味現代は幸福な時代なのか

あるいは真の地獄か。


はてなブックマーク - 才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか


制作だけで食べていける人、いけない人 - Ohnoblog 2


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基本的には放置、目指すやつもそこまで馬鹿じゃないし、後、そー言うやつは回遊魚と同じで、無理にやめさせると窒息死するからほっておけ、っていう意見がありますが、僕もそれに賛成・・・ですが、まぁいい機会なんでちょっとだけそことは多少違う視点で語ってみたい。


松本人志がラジオでたまに、売れない後輩芸人の話をして、「死んだらええねん!」と笑い話にしながらも急に真剣なトーンになって「・・・好きだからって続けていいのか?」とか「才能の無いヤツに、頑張ればできるっての駄目なんじゃないのか?・・・」みたいな葛藤を話していたのを思い出した。


確かに、キツイです。才能ないのに夢見て生きるとね。でも、売れない、貧乏、食えない、と言いながらも、なんとかギリギリの生活でだらだらと生きてはいけるもんなんですよね。実は。


件の売れない芸人の話じゃないですけど、例えば、なんだかんだで、安いながらも芸人としての仕事はある。才能なくても、舞台には立たせてもらえるし、バイトとか、応援してくる人のツテで働いたりとかで、なんとか食えてはいる(ここでの「食える」は最低限で餓死しないという意味での「食える」ね)らしいし、分野は違うけど、俺の周りにもそーいうヤツはいる。つーかつい二、三年前の俺がそうだったしね。


で、ズルズルと年を取る。多分、もっと昔の日本なら、松本の話で言えば、松本の世代の芸人ならば、売れるか、諦めるかの二択で、売れなくてもズルズルとやりつつ生きていくっていう選択肢はなかったと思う。それが、許される。


ってのを、34歳でミュージシャン諦めて最近就職した知人の話を聞いて少し思った。


まぁだから何だって話なんですが、要は生産性が上がるっていいよね、とか。夢を追って、夢追い人の個人の生産性が下がっても、それを補えるだけ全体の生産効率が高いという。


100年前と比べたら何倍でしたっけ?忘れたけど。30年前と比べても上がってんのかな、もちろん、どっかでスゲー踏ん張っている人がいるかってのもあるとは思うけど。でも、ダラダラ、ズルズルやろうと思えばまだやれるって状況はあると思う。


でも、それは幸福なのか?とか・・・もちろん、個人の幸福は外側の他人からは測れないけど、ただ、はっきりと「引導を渡されない世界」「諦めずにダラダラとやれる世界」ってのは、本当に取り返しの付かない年齢で自分で気づくしかない世界でもあるわけで。


・・・それって真の意味での地獄の世界なんじゃないかってね。


もちろん、最後までそのまま自分の生き方は幸せだった!ってのもあるけど、ただねぇ・・・まぁ、そんなぼやきというか、そんな感じで。